コハルアン日乗

コハルアン店主の私的記録|器と工藝のこと|神楽坂のこと

平成の思い出

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2000年(ミレニアルってやつ?)を挟んだ10年間、僕が勤めていたのが、恵比寿ガーデンプレイスの中にある三越
20世紀中は食品のフロアを担当、21世紀になってからは生活用品のフロアを担当。

当時、恵比寿ガーデンプレイス(’95年開業)は、20世紀最後の大再開発と呼ばれていたので、そこで働けることになった高揚感は今も忘れることができません。

バブルがはじけて株価や不動産価格が暴落し、「足元を見つめ、身の回りのものを充実させることで人生を豊かにしましょう」という考えが芽生えはじめた時代。
ガーデンプレイスはそんなバブル後の価値観を体現しようとしていた場所で、三越ではそれまでのザマス的な路線を放棄し、日常の生活に密着したものを扱っていました。百貨店という概念を捨て、五十貨店として、いや、二十貨店として、量より質で勝負しようぜ、という感じで新しい店づくりがなされていたのです。
隣にあったガーデンシネマでは、ヨーロッパの粋な小品が上映されていたりして、新しい文化を醸成しようという機運が、ガーデンプレイス全体に満ちていたような気がします。

器に関しても、「○○焼の××窯の高級陶器ザマス」とか「△△センセイのお作ザマス」とかではなく、「自分の感覚を信じて、気に入ったものを日常の中で使っていきましょうね」という、今の器ブームにつながる考えが広がっていったのが、この時期。
店内の異動によって、’00年から僕が在籍した生活用品の売場「暮らしの和」は、若手作家に注目したり、小鹿田などの民藝を見直したり、波佐見のプロダクトを取り上げてみたり、そういうものを編集して紹介する先駆的存在でした。

この売場は、職場であると同時に、器や工藝とまったく接点がなかった僕にとっては学び舎だったと言えるかもしれません。
北は岩手から南は沖縄まで、全国各地を回り、工藝に関わる諸々を一から学ぶことができました。下っ端のペーペーだったからお給料は驚くほど安かったけれど、そんなことは帳消しになるくらい、いろいろなことを勉強することができたと思います。


恵比寿は、三越時代から20年近く通っている美容室があるので、今でもひと月に一回は訪れる街。

遠回りになっちゃうから、ふだんはガーデンプレイスには寄らないのだけれど、昨日は髪を切った帰り、久々に足を延ばしてみました。
さすがに、辞めてから14年も経つので、もう知り合いもいないし、リニューアルして、店内の雰囲気はまったく様変わり。
そして、平日とは言え、どのフロアも閑散としていることに一抹の寂しさを覚えました。

すでに開業24年。
都心部では今世紀に入って巨大な再開発が続いたため、ガーデンプレイスはすっかり影が薄くなってしまいました。かつて、新たな価値観を創造するために様々な試行錯誤がなされてきたことなど、とうに忘れ去られていることでしょう。でも、それまでの価値観が音を立てて崩れ去っていく中、独自路線でなかなかの踏ん張りを見せたのが、恵比寿の三越だったように思います。

僕自身、そんなDNAを受け継いでいる自負はあるので、これからの時代でも通用する概念を自分の内で大事に守り育てていきたいと考えています。
先月から今月にかけて、改元に関わるお祭り騒ぎを醒めた目で見ていた僕だけれど、やはり、自分なりに前の時代の総括がしたかったのかもしれませんね。昨日、わざわざガーデンプレイスまで足を延ばしたのも、そういう意味合いがあったのかな、と。


三越伊勢丹さんには、平成の良き遺産であるこのエポックメイキングな店を、もう少しきちんと手をかけて育ててあげてほしいと思います。
かつての学び舎が姿を消すようなことになってほしくないので。


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