コハルアン日乗

コハルアン店主の私的記録|器と工藝のこと|神楽坂のこと

百代の過客

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終戦の日と前後するこの時期に考えてしまうのが、「近代とはなんだったのか」ということ。
うちは特に父母が高齢なので、話を聞けるうちに、わが一族にとっての近代についても考えておきたい、と思うようになりました。

父の一族は上州出身。国家公務員だった祖父(農家の次男坊)の転勤に従って幼少期は仙台で過ごし、終戦後に本省勤務となり東京へ。
母の一族は秋田の士族で、維新で禄を失い、北海道に渡ったのち流れ流れて昭和の初めに東京へ。母自身は深川生まれの世田谷育ち。戦前の生まれなので、空襲が激しくなってきた一時期、新潟に学童疎開した以外は東京暮らし。

そんな両親の元に生まれた僕は東京人ではあるけれど、三代続くことで認定される江戸っ子のような堂々たる矜持はなく、むしろ心の底に宿る『行き場のない感じ』とか、『どうにも心許ない感覚』というのを消し去ることができずにいます。これって、流れ者の末裔=故郷を持たない者の悲しい性なのでしょうか。

「悲しい性」と言えば、最近抱いてしまうのは、自分が東京という巨大なホテルで働くフロント係にでもなったような感覚。
友人なり知人なり、この街を仮の住処とする人を迎えては見送り……というルーティンを半世紀も繰り返して経験していると、人との出会いと別れが「昨日到着されたお客様が明日はご出立されます」という業務連絡に沿ったものであるかのような錯覚に陥ってしまうのです。このままだと、傍観者という立場の醒めた人格ができあがってしまうように思えて、それはそれでちょっとこわくなります。

話がそれました。

旧幕時代の秩序の下でひとところに定住していた僕のご先祖たちにとって、近代は流転の歴史。
旧体制の頸木が解けて自由に動けるようになった、というのはきれいすぎる言い方であって、その実態は、旧い秩序から已むに已まれず放逐され、流されながらも懸命に生きた、というのが本当のところなのではないかと察します。そして、そういう無名の庶民の人生の集積は日本の近代の一側面なのかもしれません。
そんなDNAを受け継ぎながら、半世紀も同じ場所に居座る自分自身の状況は安定なのか、それとも停滞なのか。そのうちに社会のありようが変わって、この街以外に地縁を持たない僕もやがては流れ流される日がやってくるのか。それは、神のみぞ知る、というところでしょうか。

とにかく、そのとき与えられた場所で懸命に自分の人生を選択してゆくことが大事だということかな。その場所が今は神楽坂だということ。
今ここで見たものを魂に焼き付けて何かを残せるようにしなきゃ。それが、東日本の各地をさすらいながら血を繋いでくれたご先祖に対する感謝になるのかもしれません。


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