神と仏と
9月の北陸出張では、九谷焼の川合孝知さんを訪ねる前に、近くの那谷寺(なたでら=石川県小松市)を参拝。
日本史の教科書に書かれている通り、このあたりは戦国時代に一向宗が一大勢力を誇った地ですが、もっと時代を遡ってみれば、土俗的な山岳信仰=白山信仰が染みついた地でもありました。
このお寺は奈良時代の創建だということですが、仏教寺院でありながら白山信仰と一体化。境内には鳥居や狛犬の姿が見られるし、アニミズム的な巨石信仰の跡も見て取れます。仏教と神道と修験道が混然一体となり、そこには時を重ねたがゆえの凄味が宿っていました。
外来の宗教であった仏教が、かつて、民衆に受け入れられるために、如何なる手段を取ったのか?
那谷寺の広い境内は、北陸地方におけるその答えを示すジオラマのようでした。
我々が生きている現代は、明治初期の激しい廃仏毀釈を経た後の時代。でも、想像力を駆使してその前の状態にまで思いを寄せないと、いにしえの人々の暮らしのありようを理解することはできないのではないでしょうか。
那谷寺が明治政府の神仏分離政策を乗り越え、それまでの信仰風景を保ち続けているのは、奇跡のようなことだと思いました。
「神は神」であり、「仏は仏」。
近代以降、それらは別の地平にある存在だと見なさるようになりました。
物事を区分けする「カテゴライズ」という行為は、確かに複雑な文脈を解釈する一助になるし、一見合理的。けれど、前近代的カオスに近づこうとするには、逆にそれが色眼鏡にもなり得るのではないか、と僕は考えます。
たとえ現代的な思考とは合致しなくても、その時代、その土地、に寄り添って想像力を働かせるクセだけは付けておきたいもの。ジャンルは違えど、僕がいま続けているフィールドワークのような出張旅行は、それを実践しようとする営みのひとつなのかもしれません。
前の日に訪れた三国では、江戸時代から明治にかけての経済文化の多様性に触れることができたけれど、ここでは古代から続く多様な信仰の形に触れることができたような気がします。
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