コハルアン日乗

コハルアン店主の私的記録|器と工藝のこと|神楽坂のこと

九年

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あの大きな地震から九年。
そして、あの原発事故から九年。


昨日は、いま公開されている映画「Fukushima 50」を見てきました。
事故が起こったとき、福島第一原発と東電本店と首相官邸との間でどんなやりとりが成され、どうやって事態が推移していったのかを時系列で描き出したノンフィクション映画。ものすごい迫力で、思わず涙してしまうシーンもあったのですが、あざとい演出(お涙頂戴)はなく、すっとスクリーンの中に入り込むことができる感じでした。

テレビで原発が爆発する映像が流れ、ああ、もうこれですべてが終わるのだ……と絶望感に襲われたあの日。
頭ではわかっていたはずなのだけれど、あのときこうやって必死に事の収拾に当たっている人たちがいたことを、今更ながらに思い知りました。どこかの誰かがやってくれていたのではなく、ひとりひとり血の通った我々の同胞が命がけで責任を全うしてくれていたのだ、と。


この映画がすばらしかったのは、事態の推移をイデオロギー抜きで描いていたところ。
あの事故のとき、外から見えないところではこういうふうに事が進んでいったのですよ、と、ただそれだけ。

だから、これを見た人の想いはたぶんひとつの方向に集約されることなく、以下のふた通りの意見に分かれるんじゃないか、と思います。
A、原発なんていう危険なものは、いちど爆発したら市井の人びとの生活をすべて奪うのだから、多くの命を人質に取るような形での経済優先主義はやめるべき。原発全廃へ。
B、経済を回すために過渡的エネルギーとしての原子力活用は必要で、3.11のような重大事故を今後絶対に起こさぬよう、規範を厳格にした上で、再稼働を進めるべき。

事故の原因を、「原発という存在」自体に求めるか、それとも「甘い想定に基づく不十分な対策」にあると見るか。どちらの感想を持つかは人それぞれなのかな、と。
僕がどちらの意見に与するかはあえて言いませんが。


ただ、当然のことながら、この映画を見て思うのは、あの日までそこにあった福島の人びとの生活を、なるべく元のままに近い形で復元しなければいけないということ。
僕をふくめ、福島から電気を送ってもらっていた首都圏の住民は、この事故が起こってしまったことに対してはっきりと『ひけめ』を感じなければいけないと思います。この一事については、「A」を支持する人も「B」を支持する人も異論がないのでは?
原発事故が福島浜通りのおだやかな日常を奪ったことだけは厳然たる事実なのですから。

今後こんなことを起こさないようにするにはどうしたらいいか、事を解きほぐして、もういちどみんなで考えてみましょう。